びぶりお・まにあの詩


by inugami_kyousuke

ザ・フェミニズム

上野千鶴子・小倉千加子著『ザ・フェミニズム』を読んだ。
「著」と言っても…コレは、対談集だ。
ハッキリ言って、この本の校正は大変だったと思う。
通常、インタヴューには、テープ起こしとゆー作業が必須だが、当然、この時点で誤字脱字が発生する。
校正の段階でそれらを正さねーと、ヘタをすると、そのまま出版されてしまう危険性が高い。
が、この本の内容は結構濃いんで…
よーするに、この2人の会話についていけるだけの知識を持った人でなければ、この本を校正する事は難しいと感じた。
ある意味、校正とゆーよりも、翻訳に近い作業かも知れねー。


面白かった。
面白く、かつヒジョ~に刺激的な本だった!
何つーか…一言でゆーと、「劇物」みてーな本だ。
「毒」っつーか、「爆弾」っつーか。
もしも俺がこの本の装丁デザイナーだったら、たぶんでっかいドクロマークか放射能マークを付けてたと思う。
もしくは、大衆的なタバコのパッケージと同じデザインにして、
「この本を読むと、あなたの価値観が変わり、結婚を望まなくなる可能性があります」みたいな警告文で装丁の半分以上のスペースを埋めてたかも?

ちなみに、俺は「フェミニズム」にも「ジェンダー」にも興味はない。
んじゃ、なぜこの本を読んだか?とゆーと…
ただ、単純に上野千鶴子という人物に興味があったからだ。
んじゃ、なぜ上野千鶴子に興味があったか?とゆーと…
以前読んだ『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』とゆー本が、衝撃的に面白かったからだ。
もう、世の中がひっくり返るくらい、面白かった。
頭ン中で、原爆がバクハツしたか?ってくらい、衝撃を受けた。
んで…一体、上野千鶴子とゆー人は、どんな人なんだろ~か?と興味を持ったワケだ。

小倉-男性の方は、さっき言ったように生存を賭けられる人は貯金がない。依存を賭けられる人はそこまでの年収がないし、もうすでにリストラの恐怖に怯えている。自己保存を賭けられる人は、そんなに家事を「なんでせなあかんねん」と思ってる。ということで、全然合わないんです。で、男の人の結婚願望は、時代が変わっても、あんまり変わらない。結婚の条件は4Kと言われてます。「可愛い・家庭的・賢い・軽い-体重が」。
上野-「賢い」は、ちょっとだけ注をつけますと、自分の賢さを表に出さないほどの賢さ、ですわね。結局どれも全部含めて、「男の自尊心のお守りをしてくれる女を探してる」いう点では変わりない。ミスマッチということで言うと、保存型の人が「経済力は求めない。学歴も問わない」と言うても、それに該当する男が、今度はそういう高学歴の女を選ぶかというたら……選びまへんわな。めったに。
小倉-そこが難しい。


上野-フェミニズムという思想にわざわざ改めて出会わなくても、あるいはそういう言葉を自分が使わなくても、つまりそういうシングルの女の人は「男無用で生きていく」というか、「自分の人生設計の中に男の居場所はもうない」という人たちですよね。そうなりゃ、世の中にある女らしさのスキルというのはみんな、「男にいかに受けるか」、「男の自尊心をどうやってお守りするか」というスキルですから、「そんなスキルはもう私の人生のスキルの中にいらん!」ということになる-ということですか?
小倉-そうです。


上野-業績理論を内面化した高学歴女たちでも、私は女性性に無縁だ、という女よりは、それでもやっぱり、女として「よしよし」してもらいたい女のほうが多数なんです。
小倉-ジェンダー社会だから、それは認めます。
上野-そういう女の子たちにとって、いちばんわかりやすい上がりというのは、結婚、出産なんですよ。それにプラスアルファ「仕事を持った上で」がついてくる。


上野-女性性という言葉をもう少し幅広く定義して、「男から性的に望ましい対象として欲望されること」と言いかえてもいい。「女性性」は男社会によって与えられる価値ですから、勝手にひとりで「女らしく」なるわけにはいかないんです。

ちなみに「結婚」とは、上野千鶴子の定義によれば…
「自分の身体の性的使用権を生涯にわたって特定の異性に対して排他的に譲渡する契約のこと」となり、
「おぞましい契約」と言い切る。

「ミソジニー」
「対(つい)幻想」
「ロマンチックラブ・イデオロギー」
「クィア理論」
耳慣れない用語が、バカスカ飛び出して来て、マジでクラクラするぜぇ~。
10年くらい、じっくり反芻しねーと、俺なんかにゃ、とてもじゃねーけど、俄かに理解出来そーもねー話だ。

「…べきだ」「…べきではない」と言うのはカンタンだ。
現状への不満を訴えているだけだからだ。
『十二国記』とゆー作品の中で、「とんでもねー外道の国王を倒し、清廉潔白な理想を掲げる人物が新たに王位につく」とゆーエピソードがあった。
だが、彼が実際に国を治めてみると、理想とはほど遠く…
それどころか、かえって前王の頃よりも、世の中は悪くなってしまうのだ。
結局、何が悪かったのか?とゆーと、
「他人がやっているコトに対して、批判するコトは容易だ。が、批判するコトと実践するコトは根本的に違う」ってコトだった。
端的に言うと、「批判する人」のアタマの中には、自らの「ビジョン」が存在しない、とゆーコトだ。
それは、「現状、ココが良くないから、こーすればもっと良くなるハズだ」とゆー考え方であり、要するに現状の「修正案」に過ぎないワケだ。
よーするに、設計図を引くコトは出来ない人が、他人の設計図を盗んで自己流に修正して家を建てるよーなモノだ。
自分で設計する力がないワケだから、当然、全体を把握するコトも不可能だ。
一体、どんな家になるのか?想像もつかねぇ~。
てか、そんなモノは「理想」ではない。
他人の「理想」を引き継いで、ツギハギしながら運用してるだけだ。
そんなものは、「理想」でも何でもない。イミテーションですらない。
「ビジョンなき経営に未来はない」とゆーが、国家だって同じコトだ。
「行き先のわからない電車」に乗るべきではない。
…とゆー考えが俺にはあり、
「フェミニズムが結婚制度を否定する」事自体は別に構わないが、
フェミニズムがその先に見ているビジョンが明示されていないため、共感するコトが出来ないのだ。

上野-それには三つ理由があるんですね。「何が解放か」というのは、当事者が自己定義するしかないということ。これが解放だと人に押しつけられるのは、もはや解放ではない。だから答は人によって違う。自己決定しかない。ただし、原点は自己定義権の獲得ですね。「女とは誰か」を誰からも定義されない。あなたにとってこれが一番いいでしょう、と誰からも言われたきない。ですから、「フェミニズムは何をめざすのですか?」と問われるほど、反フェミニズム的な問いはありません。その問いを発したとき、すでにその人は、フェミニスト的ではない、ということになります。だから、「何をめざすのか?」と問われたら、「あなたにとっては何が解放ですか?」と、問い返して終わりです。そして、「それをめざすことがあなたのフェミニズムです」と言うまでです。「何をめざすんですか」という抑圧的な問いの中には、「フェミニズムの望ましい未来についての青写真」という代替案の提示を求める姿勢がある。「代替案がなければ現状を変更することもできない臆病者なのか、おまえは」と思っちゃう(笑)。
 彼らの考える代替案というのは、現実を総とっかえするようなシナリオでしょう。そのようなシナリオをメニューの中から選ぶ、という変革の理念は、システム総とっかえが可能であると信じられていた、新しい社会運動以前の旧時代的なマルクス主義までの変革思想です。いまや、システム総とっかえというのは、変革の思想としては成り立たなくなっている。システムの空洞化や、現場における実践的な組み替えなどの蓄積によってしか、変革は考えられなくなっています。それが第二の理由です。
 三つめは、新しいシナリオは、別の誰かにとっては、今度は新しい別の抑圧的なタイプのシナリオだということです。そんなシナリオの提起をしようとは思わない。


つまり…
・フェミニズムにビジョンはない。
・草の根運動的なムーブメントとして、徐々に現状を変えてゆくのが理想だ。
とゆーコトらしい。

さらに、「フェミニズムは1人1派だ」とまで言い切る。

上野-ジェンダー・カテゴリ-が解体された社会というものが、フェミニズムがめざす社会の青写真だとしても、私にはそれがどういうものか、イメージすることができません。みんなが中性的に社会ですか、としばしば聞かれるけれど。

もしも、「差別の無い世界」=「個体差の全く無い世界」だとしたら…
悪夢以外の何者でもない。
それこそ、ディストピアそのものだ。
ユニセックス。
男も女も大人も子供も、服も同じデザイン同じ色で…
全ての優劣をゼロにならす世界。
「劣」=「美的弱者」を差別しないと同時に、全ての「優」=「美」すらも無に帰してしまう思想。
容姿の優劣…
いわゆる「美醜」の区別のない世界とは、
「鼻筋が通っている」とか、「背が高い」とか、「色が白い」とか、
窮極的には、性差どころか、個体差すら無い世界を意味する。
AとBの差は無い。
「Aである」
「Bである」
とゆー区別があるのみで、
AとBの優劣の判断基準は存在しない。
生物学上、存在しているか?否か?
「1」か?「0」か?とゆー区別しかない。
没個性。
個性の否定。

フェミニズムの指向する世界が、そのよーなディストピアではないコトはよくわかった。
が、同時に代替案のビジョンもまた、存在しない、とゆーコトもよくわかった。
よーするに、ここで行なわれているコトは、
「未来をデザインすること」や「未来を提案すること」でも「未来を予想すること」でもなく、
「過去を整理すること」でしかない、とゆーコトだ。
思えば、本来、学問とは、そーゆうモノだ。
集積したデータを整理し、体系化し、仮説を立て、証明する。
それ以上でも、それ以下でもない。

俺は、このジェンダー社会に生まれ、育った人間だ。
成長過程でスリコまれた価値観は、容易に捨てられるモノではない。
「男らしさ」、
「女らしさ」、
そして、「一夫一婦制とゆー結婚制度」…

少子化、
晩婚化、
高齢化、
セックスレス…
特に、ラスト数十ページは濃度がおっそろしく濃い。
これだけのテーマを、2人の著者が語り合って、面白く読ませるコト自体がまず、スゲーと思った。
フツーつまんねーって。このテーマじゃ。
テンポの良い会話が、まるでプロの漫才のよーだ。
素晴らしい。
10年くらいしたら、も1回、読もーかな~?
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ザ・フェミニズム

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by inugami_kyousuke | 2010-05-04 10:39 | 文学