びぶりお・まにあの詩


by inugami_kyousuke

実写映画版『あしたのジョー』、香里奈が白木葉子役にィィィ~!?

あ゛あ゛あ゛~~~っ、
『あしたのジョー』がぁぁぁ~、どんどんヘンになってゆく…!!
香里奈は、
「白木葉子という、たくさんの方々に愛されてきているキャラクターを演じられることを、プレッシャーに感じると共に、とてもうれしく思っています。ボクシングを通してさまざまな影響を受け、心情が少しずつ変化していく葉子を、芯のある凛としたイメージを持ちつつ、強く優しく演じたいと思います」
と言ってるらしーが…
お前!!
ぜってぇ~、『あしたのジョー』読んでねーだろ!?ってカンジだ。
ハッキリ言って、葉子を愛してるヤツなんて、誰もいねーよ!
白木葉子は、たしかにヒロインだけど、ストーリー上は「憎まれ役」っつーか、「悪役」だから!!
「氷の女王」みてーなキャラだから!!
「愛されキャラ」は、むしろ庶民的で女性的で健気なのりちゃんだろ?
わかりやすいし。
よーするに、この作品は、ラブストーリーとして考えると、
白木葉子→矢吹丈←のりちゃん
とゆー三角関係なのだ。
ただ、肝心のジョーからは、誰にもベクトルが出てねーから、
「決して成就するコトのない恋愛関係」で完結する運命なのだ。
結局、のりちゃんはジョーが好きだったけど、ボクシングだけを恋人とするジョーに見切りをつけて、マンモス西と結婚してしまう。
葉子だけが、最初から最後まで、一途にジョーを想い続けるのだ。
言わば、この物語は、白木葉子の報われない「愛の物語」なのだ。

矢吹丈は、華麗な天才型のボクサーではない。
つまり、「打たせずに打つ」テクニシャンではなく、
「打たせつつ打つ」…「打ち合う」タイプのボクサーだ。
コレが何を意味するか?とゆーと、
ボクサー生活を永く続ければ続けるほど、ボロボロになり、
最終的には死が待っている。
破滅型のボクサーなのだ。
白木葉子はジョーを愛した。
が、愛を知らないジョーは、人を愛するコトが出来ない。
殴り合うコトでしか、自分を表現出来ないのだ。
ボクシングのリングの上でしか輝けないのだ。
だから、葉子は次々と強い対戦相手を連れて来る。
ジョーに捧げるために。
ジョーを輝かせるために。
ジョーにとっては、ボクシングこそが人生の全てだから。
白木葉子はボクシングの世界にのめり込んで行ったが、
おそらく彼女自身は、ボクシングの魅力も意義も、全く理解していなかったに違いない。
全てはただ、ジョーの幸せのためでしかなかったのだ。
が、その行為は、ジョーの生命を削る行為でもあった。
・生き甲斐のために、死に急ぐか?
・生き甲斐を失くして、死人のように生きるか?
前者の生き方を選択したジョーを愛し、
その悲壮な生き方を全うさせるため、葉子は「汚れ役」を演じ続けるのだ。
報われぬ愛のために…

『あしたのジョー』とは、そーゆう話なのだ。
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by inugami_kyousuke | 2010-05-01 11:38 | ゴシップ/新作情報