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犬神狂介の【狂人日記】

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ハンニバル

【1点】

●『羊たちの沈黙』の続編でありながら、監督も含めて、アンソニー・ホプキンス以外はほとんど「総とっかえ」状態になっている。
全員、「こんな下品な作品に関わりたくない」と、断わってしまったのである。
「作ればヒットする」ことは、誰もが知っていた。
しかし、ただ、それだけの理由で、「猟奇性のみを売り物にした作品」を世の中に垂れ流していいのか?…というコトである。
ジョディ・フォスターは『羊たちの沈黙』のクラリスを「フェミニズム・ヒーロー」と位置づけ『ハンニバル』に対して、「私のクラリスは、こんなことはしない」と言ったというが、そもそも原作者のトマス・ハリス自体が、かなりのクセ者なのである。
●まず、設定として、プロファイリングという捜査方法は、「犯人と捜査官が完全に同化し、犯人の行動パターンを読み解いてゆく」ワケだが…
同化した時点で、捜査官はみな発狂してしまう。
所詮、「狂人を理解出来るのは、狂人しかいない」というコトである。
従って、捜査を続ける限り、クラリスの運命もまた、最初から決まっていたのである。
当然、俺は『ハンニバル』のラストでは、クラリス自身が禁断の狂気に溺れてゆく過程が描
かれるのだろうと予想していたのだが、ずっとマイルドな内容になっていたのは意外だった。
どーせ「猟奇性」を売り物にするのなら、トコトンやりゃ~イイのに…!
中途半端なところで「寸止め」しやがるから、ただ冗長で悪趣味なだけのフヌケた作品になってしまった。
●作品の方向性としては、『羊たちの沈黙』がクラリスの物語だったのに対し、この作品は、完全にハンニバル・レクター・シリーズ以外の何者でもない。
コレは、「殺人鬼=レクター博士」がキャラクターとして確立してしまったコトを意味する。
ジェイソンやフレディのよーに…!
まぁ、映画の製作会社にとっては「金のなる木」だから、大歓迎なんだろーが、作品価値的には、決して「いいコト」ではない。
キャラクター化されてしまうと、その作品が本来、内包していたメッセージ性が希釈され、あるいは失われてしまうからである。
なぜなら…先にテーマがあって製作されるべき物が、逆にキャラクターが先行して存在し、ストーリーを方向づけてしまうため、結果的に内容が付いて行けなくなってしまうのである。
ハンニバル_d0012442_19312841.jpg

by inugami_kyousuke | 2005-09-11 08:50