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犬神狂介の【狂人日記】

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雑草(おいでよ、どうぶつの森)

現実の街を歩いてても、雑草を見ると、思わず抜きたくなる。
そーいえば、以前、会社で…
すごく細い通路みたいなトコロがあって、曲り角を曲がった瞬間にばったり人会うたびに、ザッ!と戦闘体勢(キックボクサーがやるよーな、両腕を上げて頭部をガードするポーズ)をとって、よく笑われた。
でも、よく考えると…笑いゴトじゃないのだ、コレは。
疲れてたのもあるんだけど…
俺の目には、ソコがダンジョンに見えていたのである。
そして、出会った人を、モンスター=敵として認識していたのである。
もちろん、相手がモンスターに見えていたワケではないし、殴りかかってしまったワケでもない。
コレは、「条件反射」なのだ。
つまり、『ドラクエ』や『FF』の「戦闘」が、そのまま「スリコミ効果」として、脳にインプットされていたコトになる。
しかも、恐ろしいのは、その頃、すでに俺はほとんどゲームなんてやっていなかったのである。
コレじゃあ…まるでシャブのフラッシュバックだ!
もしも、戦争で、俺が銃を持っていたら…あの時、俺は人を殺してしまっていたかも知れない。
「たかがゲーム」、
「虚構と現実の区別のつかない、ごく一部の異常者が問題を起こすだけ」、
などという説明だけでは済まされないモノを感じた。
以前、任天堂とソニーを比較した記事で、あるゲームの開発中に、「赤ちゃんを海に捨てる」とゆーコマンドがある、という理由で任天堂からNGを出された人の話があった。
「たかがゲームなのに、任天堂はアタマが固くて困る…」とゆー論調の文だったが、今にして思えば、任天堂の方が正しかったのかも知れない。
思うに、「他人を殺す」とか「傷つける」などという選択肢を、たとえゲームとはいえ、脳に反復練習させるコトは、相手を殲滅するよーな思想を植え付ける行為に他ならないのではないか?
ソレは、少年ジャンプ系のヒーローものとは根本的に、全く異なる。
この両者は、思想的に相いれないモノだ。
少年マンガのそれは、最初は敵として現れても、いつの間にか、仲間になっていたりする。
結局は、「みんなともだち」なのだ。
そして、誰も死なない…
by inugami_kyousuke | 2006-07-08 13:55