びぶりお・まにあの詩


by inugami_kyousuke

今でもキミを。

後輩「そーいえば、こないだの本…」
俺「ん?あの本がどーした?」
後輩「実は、続編があるんですっ!!」
俺「あ…ああ。あるらしーね。ソレが何か?」
後輩「なぜか、今、持ってるんですよね~!!ジャーン!!読みます~?」
…ジャーン!!じゃねーよ。
フザケんな!
俺が、どんだけ苦労して、あの本を読んだと思ってやがる!?
結局、断わるワケにもいかず、また借りるハメになっちまった。
あ、悪夢の再来だ…!
また、電車の中で読んだ。
ガルルル~…!!
てめーら、俺を見るなぁ~!!
こんなピンクの本を読んでる俺を見るんじゃねぇ~!!
ものスゲー目つきが悪くなりながら、なんとか読了した。
コイツはよー、この主人公のヤツは、ウジウジぐちぐち、うっせェ~んだよ!
ぐあああ~、ムカつくぜ~!
スティッチみてーに、本を破って、火を点けたい衝動に駆られた。
一言で言うと、蛇足だ!
この作品は蛇足以外の何者でもねぇ~。
前作のヒロインの死を克服し、主人公が新たに自分自身の人生を生きてゆく…とゆー話だが、こんなモン、果たして、わざわざ本で読む必要があるのか?
コレは、ごくフツーに、日常、そこらじゅうで起こっているコトだし。
それに、んなコト、わざわざ続編として読まされねーでも、読者が自分のアタマの中でやるべき作業じゃねーか。
何もかも描けばイイってモンじゃねぇ~。
小説でもコミックでも映画でも…
媒体が何であれ、およそフィクションとゆーモノは、疑似体験であり、作中で提起された問題を自分自身の問題として考え、思索するコトが出来る。
日常生活ではなかなか体験出来ないよーな体験を疑似体験し、思索の幅を広げるコトが出来るのだ。
所詮、エンターテイメントなのだから、どう楽しもーと、個人の勝手だが、ただ楽しいとか、気持ちイイとか、それだけだったら、動物と何ら変わらねー。
思考するから、人間なのだ。
楽しいなら楽しいで良い。
ならば、何が、どのように、なぜ楽しいのか?
何でも良い。
何かしら考えるのが人間とゆーモノだ。
世のラブストーリーの多くは、恋人が死んで終わる。
その先は描かない。
それは、描く必要がないからだ。
なぜなら、残された方の恋人は、読者自身の分身だから。
その後を考えるのは、読者の作業だ。
この作品は、それを奪ってしまっている。
本来、読者がやるべきコトを、最初からカタチにして、ポン!と与えてしまっている。
それも、もっともありふれた、つまらないカタチで。
また…基本的に、俺は他人の不幸を知らされるのがキライだ。
ニュースすら、極力、見ない。
辛いコトは、自分の人生だけで充分だ。
わざわざ他人の不幸まで知りたくねー。
知ったところで、何が出来るワケでもねーんだし…。
コイツ…
語彙が哀しいくらい貧困だ!
貧弱貧弱貧弱ゥゥゥ~~~!!
相変わらず、中学生みてーな文章だし。
最後にもー1コ…
自分の娘に、死んだ元カノの名前をつけてんじゃねぇぞ、コラ~~~!!
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by inugami_kyousuke | 2007-08-28 22:13 | 文学