びぶりお・まにあの詩


by inugami_kyousuke

死霊Ⅲ

埴谷雄高の『死霊』最終巻=『死霊Ⅲ』第7~9章を読んだ。

7章《最後の審判》では、ついに「黙狂」=「宇宙者」=矢場徹吾が、その重い口を開く。
そして、「決していってはならぬ最後の言葉」を語り始めるのだ。
「影の影の影の国」とゆー「全宇宙のはじめから終わりまでの死者の魂の容器」…
すなわち「宇宙墓場」みたいなモノの中から、
ガリラヤ湖の大きな魚、
小さなチーナカ豆、
「死のなかの生」の胎児が現われて、
それぞれイエスや釈迦や父母を弾劾し始める。

(「影の影の影の国」とゆー概念は、楳図かずおの『神の左手 悪魔の右手』最終章に出て来た「あの世のあの世のあの世の世界」を想起させ、実に興味深かった)

それにしても…

「よーし、その食って食って俺達を食いつくす生の上限の『人間』について、食われたもののすべては、まず、お前達の何をやつらに向ってぶちまけて、とうてい許しがたい尽きせぬ思いの弾劾の上の弾劾の特別に際だったかたちを如何に愚かしいただの憎悪のみにとどまらぬところのこの影の影の影の国の最上の言葉としてやつらに投げつけ得るか、お前達の暗い暗黒のなかの死の底の底の底で考えに考えて考えつくしておいてくれ!」

「さらにまた、これこそこの上もなく最も重大肝要なことだが、この俺がそのお前にくどいほど繰返し述べているところのその「苦悩する魂」こそほかならぬ俺達すべての「思索」の決して涸れることもない源泉で、お前が自分だけで何かを考えたつもりになっているすべてのすべてのすべてこそは、おお、いいかな、本来、お前に踏まれる一粒の砂の苦悩、お前に食われるこの俺の悲哀と苦悩のなかの「俺達全体の思索」によってお前のなかに絶えず目に見えず積み上げに積み上げられたところの「絶えずより巨大な苦悩と悲哀へ向いつづけに向かいつづける大いなる集積の集積」にほかならぬことを、いくら無自覚なお前とてもお前のなかの何処かの暗い遠い隅でちらとでも思い及ぼしてくれ」

この文章を読んで、どー思うだろーか?
よく見るとわかるが…上の文も下の文も、実は1つのセンテンスなのだ!
コレは、通常では絶対あり得ない…あってはならない文章、と言っても過言ではない。
もしも、作文の課題でこんな文章を提出したら、かなり減点されるハズだ。
あるいは、0点にされてもおかしくない。
まず、文章がダラダラと長過ぎる。
加えて、二重でも充分クドいのに、この文章では、驚異の三重修飾(「食って食って食いつくす」とか、「底の底の底で考えに考えて考えつくして」「すべてのすべてのすべてこそは」とか…)のオンパレードなのだ。
文章作法的に言うならば、ヒジョ~に「悪文」っつーか、「ヘタクソな文章」だ。
が、恐ろしいのは…
あえて確信犯でソレをやっているとゆー点だ。
タブーだらけの文章によって、尋常ならざる作品世界を構築しているワケだ。
「奇書」と言って良いだろう。
100年に1冊、あるかないか…とゆー「奇書」だ。

さらに、「亡霊宇宙」「のっぺらぼう宇宙」「真空宇宙」「負の宇宙」「正の宇宙」「収縮宇宙」「蒸発宇宙」「砂宇宙」「存在宇宙」「重力宇宙」「無重力宇宙」「虚の宇宙」…といった概念に言及するに至って、一抹の不安を覚える。
なっ、何ですかコレ~!?
埴谷雄高にくっついて、とうとうこんなトコまで来ちゃったけど、ホントに大丈夫なのか、俺!?みたいな。
一体、ドコなんだ、ココ?とても一人じゃ帰れねーんですけど~!?みたいな。

ハッキリ言おう。
以前、精神分裂病患者の手記を読んだコトがあるが…
この文章は、その内容に極めて酷似している。
「カンペキにイッちゃってる」人の文章だ。
「天才と狂気は紙一重」と言うのは、本当なのかも知れねー。

ラストは、やはりブツッと終わってしまっている。
「完結したのか?未完なのか?」とゆー論争もあったみたいだが、コレを見る限り、明らかに「絶筆」ってカンジだ。
埴谷雄高が構想し、生涯をかけて書き続けた未完の大作…
本当に残念だ。
是非、最後まで読んでみたかった。

ちなみに、埴谷雄高の命日=2月19日は、「アンドロメダ忌」として記憶されているそーだ。
d0012442_14425100.jpg

[PR]
by inugami_kyousuke | 2008-09-23 08:15 | 文学